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ないったらない。 アポロ二世の雑記。 サイト運営についてやポケモン、たまにその他のことについてまじめに語ったりします。 因みに管理人はバトンのルールを勝手に改変する能力を持っている可能性が示唆されていますのでご注意下さい。 アポロ二世を知っている方、こんにちは。知らない方。初めまして。 おそらくこんなHN使ってる方はいないでしょうから全アポロ二世=このブログのひとです。多分。 不明なら「○○のサイトにいるアポロ二世はあなたですか?」 とでも聞いてください。 面識ある方はそのHNで。 なんか更新できてない雰囲気が漂ってます。ここに書いた記事、もらったコメントはホームページで反映することも。相互リンクはリンクについてのコメント欄にでも。カウンターは2007年5月26日より。
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目前に卒業式を迎えた今日この頃。
悔しいかなぁ、一緒にそれを迎えられない人達と今日、別れをいたしました。
これがなくなればもう会う機会もないのでしょう。
みんな、進路が違うから一生会わなくなっても不思議じゃないんですよね。

前日から泣きそうになってました。
大切な人達でしたしこんなですが感情が無いわけではありませんから。
目頭が熱くなる、ってのは確実に来るだろうと身構えて。
今日、何とか傷だらけで完遂してまいりました。

当日の心配事は大きく二つ。
泣くか泣かないか、そして泣くべきか泣かないべきか。
泣く泣かないはもしかしたら拍子に泣いてしまうかも知れないし、泣くべきか泣かないべきかも場によるものなんだろうけど。
それも不思議と迷わずに選びました。
泣かないし泣くべきでない。

さて、当日は思い出を一つでも刻み、最後に卒業祝いとコメントを残します。
自分が言う分には良いんです、だってそんなんじゃ泣かないから。
だけど人の言葉は辛すぎます。
優しすぎるんです…。
こんなに、残酷な優しい言葉、なんて。
自分は知らない。

判ってるんです。
泣いてもそれが悪いことじゃ無いのは。
でもそれをした時点で自分じゃない。
もっと、いつも通りマイペースで信用しきれない、存在自体がそれなりの自分。
だから別れなんかで泣いてはいけないんだ。
普通の自分を見て欲しい、最後までその姿を焼き付けて欲しいんです。
泣いて別れを惜しむ姿なんて絶対に見せてたまるものか。
一度つながりが断ち切れてしまうともう戻りにくいんです。
たまたまどこかであっても声を掛け合うくらい。
遊ぼうな、と言っていたって上手く関係を続けにくいんだ。
だからこそ、こういうやつのこういう生き方を、できるだけ自然な形で残したい。
一度泣いたら涙って止まりにくいんだよなぁ。

ようやく終わった。
帰ろう、でもまだ一緒にいるよ。
ようやく別れた。
家に着いた。
記念に貰った花を然るべき場所に置き。
服を調え。
持ち物を置き。
正座する。
そこでようやくもういいよねという気持ちになれました。
できるだけ静かに、そして自分らしく、涙を流せていたらいいなぁ。
でも無様なんです、自分にとっては。
涙を流している自分の顔は最高に酷いです。
だから顔を覆い、だれもいない部屋で誰にも気付かれないように泣く。
それでいいじゃないか。
自分の在り方に抗った自分へのささやかなご褒美。

自分は自分以外の事で泣く人が好きではありません。
例えば、母親が亡くなって…
で子供が泣くのは当人だから当然と思うけど甲子園の応援団が当人ですらないのに泣いている。
とかは好きじゃないんですよね。
特に逆転して泣くとか、アレは個人的に最悪です。
とはいえとやかく言うつもりもありません、あれはその人の涙なんだからそれをどうにかする権限なんて自分には無いんです。
だから感動物の映画でも泣かないしもちろん小説、ドラマ、その他諸々。
泣かないし泣けない…て程でもないか。
泣こうと思ったら泣ける。
今回は泣かないでおこうと思い堪えなければ泣いてしまう。
これは大きな差なんだろうなぁ。
映画のCMとかで見た人が「泣けた」とか、泣こうという意図を持ち見、泣こうと意識して泣いてるだけじゃないか、と思ってしまうのです。
感情移入で泣くのは止めて欲しい。
感動は、するのが人間だし、それは自分だってするし一杯して良いものなんだろう。
だけど、泣いてしまう時はあると思います、傷心しているところに優しい言葉をかけられたり、同じような境遇を歌ったような曲を聴いたりね。
そういう時はせめて精一杯抗ってください、それで駄目なら自分は良いと思います。
だって、本当に辛い人に申し訳ないじゃないですか。

さて、卒業式も近いですがその前に1年分泣いてしまいました。
多分泣かないでしょう、てか今回のことが無くたってきっと泣かない、それが自分なんだ。
いや、案外涙もろくなっていたりして…ねぇ?
泣くのは計画的に、ね?
簡単に無いちゃだめです、泣きそうになっても冷静に本当に泣いて良いのかできる限り考えてください。
泣きそう、泣いちゃったじゃあんまりだと思うんです。
涙っていつからそんなものになってしまったのかなぁ、と最近の泣かせブームをみて思ったので書いてみました。
きっと今回のことも色褪せる。
あんなヤツいたなぁ、とかあんなことあったなぁ、ぐらいになってしまうのがたまらなく嫌で、これだから別れは嫌なんだと思う人も多いことと思われます。
でも、構いません、いつも記憶の引き出しから引き出せるようにさえしていればその思い出の価値が下がってしまうことはありませんから。
いつも整理して見やすいようにしていましょうね。
自分が今回書いたみたいに残しておくのも手ですかね。
では、良い思い出を。

あ、あとあんまり自分に厳しい言葉をかけちゃ駄目ですよ><
こっちはすぐに泣いちゃいますからw
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無題
改めてじっくり読んでみて。
そういう考え方もありますか…。


だれかのために泣くことはその人への想いだから
涙は自然な感情の表れだから
がまんすることはないと思うんです。

自分は「涙の数だけ強くなれるよ~」って歌が好きですw


うぅん…いろいろ考えてるんですが、
これだっていうの答えが出ないです;

泣くのも泣かないのも「あり方」でしょうか…。
すべてのことに通じる答えで、なおかつ逃げの答えみたいですけど…w
それでもある程度明暗がはっきりするものならあるいは…ry
なんだか、じぶんの頭の中そのまま文章にしてるだけでまとまってませんね^^;

反対のものも理解した上で、
自分の選んだ道(?)に沿うことが大切なんじゃないかなって
いま考えています。


泣きやすい泣きにくい、ある状況での泣きやすい泣きにくいも、
人それぞれの部分はありますよね。
でも、アポロ二世さんは泣きにくいんじゃなくて、
それなりに泣きやすいのに泣かないようにしてるって
なんとなく思います(笑)


せっかくDSしてたのに手が止まっちゃったww
KIJI URL 2009/03/16(Mon)10:39:44 編集
Re:無題
こんな文をじっくり読んで頂けるとは…
なんだか面映い気分ですねw

涙、と言うとWikipedia曰く
目の涙腺から分泌される体液のことである。眼球の保護が主要な役割であるが、ヒト特有の現象として感情の発現として涙を流すことがある。
だそうです。
正しいっちゃぁ完璧な答えなきもしますが、そういう問題では無いですよね。
感情の高ぶった際にも多量に分泌される。悲しいとき、嬉しいときに流れることが多い。痛みを感じたときや、吐き気がするときや、大笑いしすぎるときや、あくびをしたときに流れることもある。感情による涙の場合は通常の排出(涙点経由のもの)では間に合わず、涙が目の外へ流出する。
とも書かれています、こちらのほうがピンとくるものがありますね。

また、玉葱をきったときに出る涙と感情を伴う涙の成分を調べたところ後者はより高濃度な蛋白質を含んでいたそうです。
この実験をした人は
涙は感情的緊張によって生じた化学物質を体外へと除去する役割があるのだろう
という仮説を建てており、おおよそ裏付ける結果ですね。
Wikipediaでは総括として
「泣きたい時は思い切り泣くことで様々な感情を洗い流すがいい」といった通念が、生化学的観点ともそれなりの整合性がある、ということも示しているようである。
とされています。

まぁ、こういうことはおいておくにしても涙の生物的機能としての意味(という言い方でいいのでしょうか)は
目の表面(角膜・結膜)への栄養補給
まぶたを円滑に動かす潤滑材
細菌・紫外線から目を守る防御壁
雑菌の消毒
こんなところです。
それに加え、複雑な感情を持つ人間はとりわけ感情の高ぶりによっても涙が出、そのときに感情を整えるなんぞやが分泌されているらしいです(テレビで見ただけなので似非科学の類かもですけど)
まぁ、意味もなく涙を流しているとは思えないです。
感情の高ぶりと目の乾きが関連するとか、そんなの聞いたこと無いですし。
一つとして、そういう涙に対する共通概念が大勢の内に存在する故、涙は流していない者に対しても大きな影響力を持つ場合が多々あるということです。
あんな事言ってますが、裏返せば自分が泣いているときにもらい泣きでもされたら多分、いい感情を抱かないって事をなんとなしに無意識のうちに正当化する文を書き上げていたんじゃないかなぁ、と。
つまりそれは自分の考えが世間一般からすれば外れていてまだそれを堂々と胸を張れる物じゃない(そうできていない)からかな。

とまぁ、多分日本狭しといえど人は多いので同じような考え方をする人が少数派にせよそれなりにいるんだろうと思うんですよね。
そうなった場合第三者、寧ろ当人でさえ泣かずにいて困る場面なんて全然思いつきません。
法廷での心象、とかそんなでしょうか。
たとえ葬儀で肉親が、という場面で泣かずとも(極論なので題の中心と考えないで欲しいですが)困らないと思うんですよ。
それが自分が第三者なら尚更。
上の場面では泣いても構わないでしょうけど。
だから(というのもおかしいかもですが)最低でも誠心誠意を見せてから泣くとか、そういう事を言いたかった訳です。
当人に申し訳を立たせるためにも、は建前で自分のためってほうが大事だし大きいのかも。
自分が嫌になってしまうので…
許されてから泣くべきと言うのもおかしな言い方ですがやっぱり自分は涙は嫌いです。
感情のオーバーフローはバーゲンセールで売っていいものとは到底思えない、嫌いですがとても大事に思っています。
みていて不自然に涙が映ってしまう場面が、やはり自分には最近多いように感じてしまいます。
でも、「涙の数だけ強くなれる」はまさしくその通りなんだと思います。
人が一生に泣く回数なんて決まっていて回数が少ない人は大きく、多い人はその分徐々に「強く」
涙の質によっても変わると思いますし。


何故こうも本題の前に長々と前置きがあったかと言うと最近、涙と涙の持つ役割、機能上の「涙」というものをひょんなことから考えることとなったからなんですよね。
目の保護機能等生物的役割しか果たさない涙しか流せなくなったとき、本当に泣きたいときに泣けないのはどういうことなのか。
自分は泣くまいとしていますが泣けないわけじゃない。
それが奪われるのは自分にとってはっきり言って「恐怖」です。
結局のところもうちょっと、涙の意味を考えて欲しいなぁ、といったところでしょうか。
涙の意味と言えば涙は飾りじゃないなんて歌ったものがありますが自分は1に本来の生物的機能と感情関連を同率に並べ次に装飾的な意味だと思っています。
語弊を招きそうな言い方ですが象徴的な意に使われているのは確か。
そんなものに決して成り下がってはいけない。
だから結局涙は飾りじゃないというのに同意見ということですかね。

あ、あと自分は決して泣きにくい人では無いと思います。
泣きにくいよりは多分泣きやすいのほうが近い、かも。
KIJIさんの言うとおりって感じです。
涙に関する意見や経験等は割と散見しますがどれを見ようと自分は一貫して泣かないのは大事だと、思います。変わりません。
泣くのは結構覚悟のいる事で、軽くみてはいけない。
でも決して悪いことじゃぁ、ないんですけど、ねw
【2009/03/18 00:43】
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